インドと中国では、植物を健康や暮らしに生かす知識が、それぞれ異なる形で育まれました。インドでは、医学と生活の知恵を含むアーユルヴェーダが受け継がれ、中国では、薬物の知識を本草書に記録し、書き加える営みが続きました。
香りの歴史にも、古代の器具、宮廷で楽しまれた香料、近代の精油産業など、異なる時代の姿が現れます。これらを一続きの発展として結ぶのではなく、それぞれの時代に植物と香りがどう扱われたのかを見ていきましょう。
インド――3000年以上前に誕生したとされるアーユルヴェーダ
アーユルヴェーダは、今から3000年以上前にインドで誕生したといわれる伝統療法です。その名は、サンスクリット語の Ayus(生命)と Veda(知識)を組み合わせたものです。
アーユルヴェーダが扱うのは、病気の治療だけではありません。宇宙や自然に対する考え方を背景に、植物の活用、食事、日々の過ごし方など、暮らしの教えも含んでいます。現在もインドやスリランカを中心に受け継がれています。
インドの香り――古代の器具、宮廷の香料、近代産業
🟣専門 タキシラのテラコッタ製蒸留器
現在のパキスタンにあるタキシラでは、紀元前3000年ごろのものとされる香水容器とテラコッタ製蒸留器が発掘されました。 (ただし、その年代と、出土品を蒸留器とする同定を裏づける考古学資料は十分に確認できていないことには注意ください。)
🟣専門 蒸留香料アターとムガル宮廷
アターは、花などを水とともに加熱し、蒸気に含まれる香りをサンダルウッド油などへ取り込んで作る香油です。6世紀ごろにはアターと芳香蒸留水を作る技術が確立していたといわれています。北インドのカナウジでは、この伝統的な製法が現在まで受け継がれています。
ムガル帝国の宮廷でも、バラ水やアターなどの香料が好まれました。皇帝ジャハーンギールの妃ヌール・ジャハーンが、バラ水に浮かぶ油に気づいたことをローズオットーの始まりとする説もあります。これは香料文化への関心を伝える有名な逸話です。
🟣専門 サンダルウッド精油と近代産業
時代が大きく下った20世紀初頭、南インドのマイソール王国では、サンダルウッド精油の生産が近代産業へ発展します。1916年、君主クリシュナ・ラージャ4世のもとで蒸留工場が設立され、サンダルウッド精油は香水や石けんの原料として国際的に知られるようになりました。
古代タキシラの出土品、ムガル期の香料文化、20世紀の精油工場は、時代も背景も異なる出来事です。インドの香りの歴史には、暮らしや宮廷で香りを楽しむ文化と、香料を生産する技術・産業が、それぞれ異なる形で現れています。
中国――薬物の知識を書き継ぐ本草書
中国では古くから薬草が研究され、薬物について記した書物がまとめられました。このような書物を本草書といいます。本草書には植物だけでなく、動物や鉱物に由来する薬物も収められています。
『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』と伝説の神農
漢の時代に成立したとされる『神農本草経』は、中国の代表的な薬物学の古典です。365種の薬物を収め、西洋の『マテリア・メディカ』と並び称されます。
書名にある神農は、医療と農耕の知識を人々へ伝えたとされる神話上の農業神です。『神農本草経』を神農本人が書いたという意味ではなく、その名を冠して伝えられた書物です。
陶弘景と『神農本草経集注(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)』
5世紀末、学者の陶弘景は、『神農本草経』をもとに、ほかの医家が記した365種の薬物を加えました。こうして730種を解説する『神農本草経集注』へ再編したのです。
古い知識を残しながら新しい情報を加える作業によって、本草学は発展しました。それは、のちの中医学を支える基礎の一つとなります。
🟣専門 李時珍と『本草綱目(ほんぞうこうもく)』
16世紀、明代の医師・本草学者である李時珍は、約30年をかけて『本草綱目』を編纂しました。全52巻からなる大規模な本草書で、植物、鉱物、動物など多数の薬物についてまとめています。
1590年に刊行され、1898種が収載されているとされますが、資料によって違いがあります。ただし『本草綱目』が中国を代表する本草書となり、日本をはじめ国外にも影響を与えたことは共通しています。
二つの地域に残された植物の知識
インドでは、生命や自然への考え方と、食事や植物利用を含む暮らしの知恵がアーユルヴェーダとして受け継がれました。中国では、薬物の知識が本草書に記され、増補と再編を重ねて伝えられました。
古い記録は、当時の人々が植物をどう理解し、利用したかを知る手掛かりです。ただし、歴史上使われていたことと、現代医学で有効性や安全性が確認されていることは別に考える必要があります。