中世のイスラーム世界では、古代ギリシャの医学書がアラビア語に翻訳され、医師や学者によって読み継がれました。植物や薬物の知識が医学書にまとめられる一方、蒸留は薬学や香料製造などに用いられ、ローズウォーターをはじめとする芳香蒸留水が作られました。
これらの書物や技術は、交易、人々の往来、翻訳活動を通じてヨーロッパにも伝わります。同じころ、ヨーロッパの修道院や医学校では、薬草を用いた治療と医学教育が営まれていました。二つの地域で蓄積された知識がどのように受け継がれたのかをたどります。
ギリシャ医学がアラビア語で読み継がれる
7世紀以降、各地にムスリム政権が成立すると、古代ギリシャの医学や哲学に関する著作がアラビア語へ翻訳されました。ヒポクラテスやガレノスの著作もその対象となり、医師や学者は翻訳された知識を診療や薬物の研究に生かしました。
ギリシャ医学を基礎に、中近東、エジプト、インドなどの知識も取り入れて形成された医学は、ユナニ医学と呼ばれます。「ユナニ」は「ギリシャの」を意味する語に由来します。イスラーム世界の医学は、古い著作を保存するだけでなく、それを検討し、新たな医学書へまとめるなかで発展しました。
蒸留技術と芳香蒸留水
蒸留とは、液体を加熱して生じた蒸気を冷やし、再び液体として集める操作です。蒸留器具の記録はイスラーム成立以前にもありますが、中世のアラビア語圏では、錬金術や薬学、香料製造を通じて器具と操作に関する知識が蓄積されました。
蒸留技術の歴史は古代から複数の地域にまたがり、発明者や成立時期を必ずしも一つに定めることはできませんが、特筆すべきは、8~12世紀にアラビア医学と化学が栄え、「アルコール(蒸留酒)の発明」やアラビア式蒸留法の確立が行われ、その知識が後世へ伝えられた点です。
代表的な蒸留品の一つがローズウォーターです。これはバラを蒸留して得る芳香蒸留水で、当時の医療や暮らしのなかで用いられました。芳香蒸留水と、現在の水蒸気蒸留で分離・製造される精油は、同じものではありません。
イブン・シーナーと『医学典範』
11世紀の医師・哲学者イブン・シーナーは、古代ギリシャ以来の医学を学び、当時の知識を『医学典範(カノン)』に体系的にまとめました。また、ローズウォーターなどの芳香蒸留水を治療に取り入れたと伝えられています。
『医学典範』は12世紀後半にラテン語へ翻訳され、17世紀ごろまでヨーロッパの医学教育で教科書として用いられました。イブン・シーナーの役割は、先行する医学を整理し、後世の医師が参照できる形で残したことにあります。
医学書と技術がヨーロッパへ伝わる
アラビア語の医学書は、地中海沿岸の交易や人々の往来、翻訳活動によってラテン語圏へ伝わりました。南イタリアやイベリア半島も、その交流と翻訳の場となりました。
11世紀末から始まった十字軍遠征も、東地中海と西ヨーロッパの接触が増える背景の一つです。ただし、医学書や蒸留技術が伝わる経路は十字軍だけではありません。各地で翻訳された書物は、講義や研究に用いられ、ヨーロッパの医学教育へ取り入れられていきました。
修道院と医学校で受け継がれた植物知識
中世ヨーロッパの修道院には、病人や旅人を世話し、庭で薬草を栽培するところがありました。修道士たちが伝えた薬草と治療の知識は、僧院医学(修道院医学)と呼ばれます。
都市では医学教育も発展し、イタリアのサレルノとフランスのモンペリエに代表的な医学校が開かれ、のちに医科大学となりました。修道院が看護、薬草利用、写本作成などを担う一方、医学校では文献を用いた教育が行われました。
12世紀ドイツの修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、植物や食材、病気と治療について著作を残し、ラベンダーなど香りをもつ植物にも言及しました。その記述は、中世の宗教生活と植物知識の結びつきを伝えています。
黒死病の時代に使われた香り
14世紀に黒死病が流行したころ、病気は腐敗した空気によって広がると考えられていました。そのため、街や室内ではハーブ、香辛料、樹脂などを焚く燻蒸(くんじょう)が行われました。果実にクローブなどを詰めて乾燥させたポマンダーも、魔よけや悪い空気から身を守る目的で携帯されました。
中世から近世へ
中世には、ギリシャ医学を受け継いだアラビア語の医学書、蒸留器具と操作、ヨーロッパの僧院医学や医学教育が、それぞれの地域で発展しました。書物の翻訳や地域間の交流によって知識が共有され、植物と香りの利用は近世へ引き継がれていきます。
その後のヨーロッパでは、印刷によって植物書や医学書が広く流通し、蒸留は薬酒や香水の製造にも利用されるようになります。